生れはやぎ座で血液型はB型です。

元は関西で非鉄金属の会社に勤めていましたが故郷へ帰郷し、一念発起(大部苦労しました)して37歳で県立高校の商業科の教員になりました。

私は凝り性で好きな事にはのめり込む一方、社交性には難点がある方でした。

大阪在住当時は社会人の山岳会に入り山登りに熱中していました。週末になると仲間と岩登りだ、ボッカだと山に行き、四季を通じて日本アルプス(北・南・中央)の山々で過ごすのが常で、アラスカにも山登りに行きました。

 

宮崎に帰った後も暫くは山に登りましたが、教員になってからは十代の終わり頃に少しかじった空手が主となり、その後の教師生活では空手道は生徒と共に歩くための心の軸として切り離せないものになりました。

 

 僅か23年間ながら凝縮し充実した教員生活

学校での公務分掌は殆ど生徒指導部でした。厳しい教師ではありましたが、弱い生徒(色々な意味で)には寄り添い励まし帯同する教師でもあったと思っています。

当時武田鉄矢の金八先生がありましたが、女子生徒からはキンパチ先生と呼ばれ、男子生徒にも何やらあだ名をつけれていたようでした。兎に角生徒と共に走りにはしり、燃えに燃えた僅か18年間(管理職を除いて)のしかし実に濃密な教員生活でした。

 

県立高校を校長で退職し、更に専門学校の校長等を5年間経験して、お勤めはそれで終わりにしました。

 

 学習障害問題を何とか‥

実は、教員、特に管理職になってからは不登校生や学習障害児の問題解決がいつも気になっていましたので、お勤めを辞めたのを機に学習障害児を支援する「能力開発スクール」を立ち上げました(後に学び直して不登校生徒支援のカウンセラーの資格も取りました)。

 

パソコンで速音聴ソフトを使い、ヘッドホンから流れる音声が脳神経細胞を刺激し、その先端のシナプスを増殖する事によって、脳機能を改善するという手法でした。

 

受講した児童生徒の中には半年・1年後に驚く程の学力向上を示し、そのシステムの素晴らしさを確信しました。ただ経営的に難しくスクールは方向性をかえる事にしました。 

 

空手は退職後も続けていました。ただその頃やっていたのはスポーツ空手ではなく武術空手というか、氣・意識を重視した心道流という流派の空手でした。 

氣功を始めたのも同じ頃で武術空手とも深く拘っていました。

 

 不思議な出会いから

不思議な事に、同じ様な時期に、たまたま複数の方から云われた事があるのです。一人は朗読演出家でしたが、当時メンバーの中に末期がんで余命が僅かだという女性がいらっしゃいました

 

発表会当日の会場で、その演出家の先生が「貴女こちらの日高さんに手を握ってもらいなさい。この人不思議な力をもっているから、元気が出ますよ‥」と。

私は何の事かピントきませんでしたが、暫くの間その方の手をしっかりと握りました。多分その先生は何かがみえる方だったのでしょう。

 

もうお一人は国内は元より世界的にも有名でその道では知る人ぞ知る有名な武術家(空手道・居合道・合気道)でした。

 その先生の公演会の後の歓迎会の席で、私に「アンタは他とは違う‥」「他とは全然違う‥」と私を指さされて不思議な事を何度か言われたのです。初対面の私に。さっぱり意味が分からずに、ただ恐縮するばかりでしたが、私の中にある何かを見抜かれていたのかもしれません。 

私が氣功を強く意識するようになったのはこのお二人との出会いからでした。

その後ご縁をいただき、関東の高名な氣功師・ヒーラーの先生に師事し、氣功を磨き今日に至っています。

 

 

 

 

趣味・関心のある事:スキー、英語会話、音楽、家庭菜園(菌糸栽培による)、武術(合気)